株式会社いつつ

将棋を楽しむ 2016年7月5日

日本伝統文化をもっと楽しむために、知っておきたい偉人5人

金本 奈絵

株式会社いつつでは、「日本伝統文化を子育てに」を目標に日頃活動をしています。

そこで今回は少しでも、皆さんに日本伝統文化について興味を持ってもらうべく、日本伝統文化の偉人を5人紹介したいと思います。

日本伝統文化の偉人を紹介します。
日本伝統文化の偉人を紹介します。

やまとなでしこのパイオニア「卑弥呼」

日本に生まれてきて、この名前を知らない人はまずいませんよね。言わずと知れた邪馬台国の女王です。その名は日本国内のみならず、中国の史書「魏志倭人伝」にも記されていたほど。鬼道で衆を惑わすなんて恐れられていたそうです。

さて、卑弥呼が携わった日本伝統文化といえば「占い」です。当時は亀の甲を焼いて、出てきた割れ目をみて吉凶を占う亀卜(きぼく)やシカの肩骨を焼いて占う太占(ふとまに)の法が行われていました。

卑弥呼の後にも、陰陽師として有名な安倍晴明や青森県恐山のイタコなど日本の歴史上には様々な神通力師が登場しましたが、日本史が始まって以来、弥生時代というかなり初期段階であるにもかかわらず、海を越えて影響力を及ぼしているというのは、圧倒的カリスマ性です。

さすがやまとなでしこの走り。現代に生きる女性は、「強い女性の鏡」として彼女の背中を追いかけるのもありかもしれません。

しかし、「男前」のイメージの強い卑弥呼ですが、占い好きという点では女性らしさも感じます。女性がスピリチュアル好きというのは今も昔も変わらないんですかね(^ ^)

精神科医と歌人、二足のわらじを履く「斎藤茂吉」

斎藤茂吉は明治末期から昭和にかけて活躍した歌人。歌人であると同時に精神科医という顔も持ち合わせていました。

また、茂吉の長男の茂太も精神科医であり随筆家の「モタさん」、次男はあの「どくとるマンボウ」でおなじみの北杜夫で、この北杜夫も精神科医でした。

「カエルの子はカエル」ってよく言いますが、ものすごい遺伝子のカエルさんたちですよね、;^_^A笑

さて、斎藤茂吉といえば明治41年創刊の短歌雑誌「アララギ」での活躍が有名ですが、私が個人的に皆さんにお伝えしたい功績は「万葉秀歌」の刊行です。

万葉秀歌はあの万葉集から、斎藤茂吉が優れた歌と判断したものを選りすぐったものです。単に好きなものを選んでオススメしているのではなく、万葉集を研究する学者の注釈や、茂吉自身の深い考察も加えられています。

「文章を書く」という意味合いにおいても、芥川龍之介に「1番小説を書かせたい」と言わせるほどの文才の持ち主ですが、文才と並ぶ茂吉の凄さは「探究心」。

茂吉は万葉秀歌意外にも柿本人麻呂や源実朝といった歌人の研究書なども残しており、そんなところからも医者ならでわの研究熱心さがうかがえるような気がします。

ちなみに万葉秀歌の中で私が好きなのは、狭野茅上娘子作の「きみが行ゆく道みちの長路ながてを繰くり畳たたね焼やき亡ほろぼさむ天あめの火ひもがも 〔巻十五・三七二四〕 」という歌です。
「恋人の流刑地までの長い道のりを、手繰り寄せて折りたたんで焼き払ってしまうような天の神の火がほしい」といったなんとも情熱的な意味です。

今生の別れみたいなシーンは今時ほとんどないですが、その分胸を熱くさせるますよね。やっぱり和歌の世界って面白いし、この歌を推してくるあたり「茂吉さんナイスチョイス!」と思わずいってしまいそうです。

以前にいつつブログでも和歌(百人一首)の楽しみ方を掲載しています。

浮世絵界のミスターミステリアス「写楽」

現代クール・ジャパンの筆頭といえば、やっぱり漫画やアニメではないでしょうか。そして、その漫画やアニメに似た日本伝統文化が浮世絵なんです。

今、日本の漫画やアニメに世界中が夢中になっているように、パリ万博をきっかけに、浮世絵を含む日本芸術が大変なブームになりました。当時のこの現象を西洋では「ジャポニズム」なんて呼んだりしましたよね (^ ^)

日本芸術の中でも特に浮世絵の人気は凄まじく、モネやゴッホといった名だたる画家たちが、浮世絵を自分たちの絵画に取り入れました。

さて、浮世絵の話はほどほどに、歌磨や北斎、春信に国芳など、そうそうたる浮世絵作家がいる中でなぜ私が写楽を一押しするかというと、やっぱりミステリアスだからです。

女性は陰のある人や謎の多い男性に惹かれるってよく言いますよね、笑

しかし、ここで一つ釘を刺しておくと、私は勝手に写楽を、男性だと決めつけていますか、実はこの写楽、本当は男なのか女なのか、というより、本当に写楽という人間が実在していたかも疑わしいんですよね。

写楽といえば、見得を切った歌舞伎役者の絵が有名ですが、あの大胆な構図とデフォルメは当時でも斬新で、江戸の町衆からも大変な人気を博していました。
しかし、人気者であるにもかかわらず、活動期間はわずか10か月。忽然と姿を消し、その後2度と現れることはなかったそうです。

写楽に関する研究は色々あり、誰が一体写楽なのかということについて様々な諸説があるのですが、私がオススメするのは、ミステリー小説の巨匠島田荘司さん著の『写楽 閉じた国の幻(上)(下)』で展開される写楽論です。もちろん小説なのでフィクションなんですが、「写楽の正体は関孝和かも」とか「実は歌磨が別名で書いていたかも」などアンビリーバボな推論がいくつも登場します。

大御所ミステリー作家の好奇心をもくすぐる謎めいた写楽の魅力に引き込まれること間違いなしです。

これであなたも料理上手に「柳宗理」

柳宗理さんはプロダクトデザイナー。主にキッチン周りの道具のデザインをしています。「えっ!?それって日本伝統文化なの?」という方たくさんいらっしゃると思いますが、私の個人的解釈ではこちらも日本伝統文化です。

柳宗理さんがプロデュースするキッチングッズの特徴はとことん使い勝手を追求したという点。

両側に注ぎ口があり、隙間を調節できるフタと握りやすい形状のハンドルが付いた片手鍋、料理研究家の要望を受け用途に合わせてそれぞれ開発されたボウルなどなど。

「デザインの至上目的は人類の用途の為にということである」「本当の美は生まれるもので、つくり出すものではない」という彼の言葉からは、見た目の格好良さよりも機能性に価値を見出したり、わびさびといった引き算の文化といったより日本人らしい感性を感じることができます。

ちなみにですが、柳宗理さんの実父は民藝運動家で日本民藝館初代館長の柳宗悦さんです。もしかしたら、宗理さんのこの洗練された日本人的感性は父親譲りなのかもしれません。

洗練された日本人の感性は子どもたちに遺伝する。
洗練された日本人の感性は子どもたちに遺伝する。

いつつといえば将棋、将棋といえば「大橋宗桂」

株式会社いつつがここを外すわけにはいきません。

大橋宗桂は江戸時代に活躍した将棋指しですが、個人名ではなく名跡のようなもの。初代の後も2代目、三代目と合計で12人の「大橋宗桂」が存在したみたいです。

しかし、徳川家しかり、どのような分野においても圧倒的カリスマ性を放つのが初代。他の宗桂に比べて初代宗桂の持つ逸話は桁違いです。

例えば、宗桂という名前の由来。あくまでも推測の領域ですが、もともと「宗慶」という名前を名乗っていたところ、「桂馬の使い方が上手い!」と織田信長から賞賛を受けて、名前の一字を「桂」の字にしたという説があります。また、現存する最古の詰将棋集「象戯造物」の作者であるとも言われ、さらに、徳川家康の時代に初代名人となったというのも有名なお話です。

まさに初代大橋宗桂は、将棋史において数々の伝説を残したレジェンド・オブ・将棋といっても過言ではありません。

さて、大橋と聞いてピンとくる方もいると思いますが「大橋流」という言葉が、現在の将棋界でも使われていますよね。

「大橋流」とは駒の初期配置の並べ方の流派の一つで、プロ棋士の中でもこの「大橋流」で駒を並べる人が多いといわれています。

まずは玉を配置し、そこから順に周りを固めていくように、金、銀、桂馬、香車、その後に角・飛車、そして最後に歩を並べていく感じです。ちなみに動きとしては左サイドから右サイドへという流れですね。

江戸時代から始まった「大橋流」という駒の並べ方が現在でもなお受け継がれている。その事実だけでも、大橋宗桂という人物がいかに将棋界に影響力を持っていたのか分かりますよね。

将棋はすぐに始められる日本伝統文化
将棋はすぐに始められる日本伝統文化

さて、いかがでしたでしょうか?占いは少し難しいかもしれませんが、俳句や将棋といった日本伝統文化はすぐにでも始められます(^ ^)もし一つでも興味をそそる伝統文化があれば(もちろん他のものでも)、ぜひ子どもたちと一緒に触れてみてください。

動画解説付き初心者向け将棋テキストはじめての将棋手引帖では、大橋流で駒を並べる動画もあります( ´∀`)

いつつブログでは、他にも日本伝統文化を楽しむための記事がたくさんあります。

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この記事の執筆者金本 奈絵

株式会社いつつ広報宣伝部所属。住宅系専門紙の編集記者を経て現在に至る。

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