日本の伝統文化のいつつ星を探して

2016年5月26日

将棋名人戦盤駒〜ものづくりの視点から碁盤職人を語る〜丸八碁盤店訪問記

名人戦の盤駒は匠の一品

先日いつつブログで、弊社が第74期名人戦第3局で使用された盤駒を購入したことをご報告させていただきました。

名人戦で使用されたことによる付加価値もさることながら、実はこの盤駒自体も素晴らしい逸品なんです。

そこには、とてつもなく長い時間と、職人さんの膨大な手間ひまがかけられていることを皆さんご存知でしょうか。

第74期名人戦第3局鹿児島対局初手の様子
第74期名人戦第3局鹿児島対局初手の様子

今回はこの盤の製作者で東京都マイスター認定碁盤師でもあった故・鬼頭淳夫さんの実弟であり、現丸八碁盤店店主の鬼頭徳治郎さんに、丸太の状態から現在の盤としての姿になるまでのストーリーと、そこ込められた淳夫さんの盤職人としての魂についてお話いただきました。

丸八碁盤店へ行ってきました。
丸八碁盤店へ行ってきました。

樹齢300年の大木を30年かけて盤に

中倉彰子(以下彰子):今回の盤はどのような木が使用されているのですか。

鬼頭徳治郎さん(以下鬼頭さん):岡山県新見産、樹齢およそ300年の大木から製作されました。大きさは7寸5分盤です。実物を見てもらえば分かるのですが、盤の角の部分に木の年輪の中心部が来ており、この木がそれだけ太かったという証拠です。岡山県新見産の丸太は幹が太いの特徴ですが、それでもここまで太いものはとても希少なもので、丸太自体の価格もそれなりに高価なものになります。

彰子:とても高級な素材なんですね。丸太の状態からどのように盤の形になるのでしょうか。

鬼頭さん:まず丸太を豆腐のような形状に切り分けます。そして切りわけたものをそのままに放置すると、乾燥などの影響でひび割れが生じるため何度も塗料を塗り重ねます。大体5から10回といったところでしょうか。あと、2年に1度くらいの頻度でカビ取りなども行います。

また盤の場合、厚みがある方が貫禄が出るので、どんな大木でも盤が取れるののはせいぜい10体分です。盤を切り取った残りの部分は卓上盤やくちなしを形どった脚付盤の脚(2016年5月28日修正)として加工していくことになります。

彰子:高級な丸太からたった10体しか盤を取らないというのは、非常にもったいないように思うのですが。

鬼頭さん:1本の丸太から数をそんなに取れない上に、出来上がるまでにとても時間がかかってしまうのが盤づくりなんです。今回の盤の場合、木材の乾燥だけで20年、全行程で30年の制作期間を要しました。

盤の角に年輪の中心が。 元の丸太が大木だったことがうかがえる。
盤の角に年輪の中心が。
元の丸太が大木だったことがうかがえる。

盤駒製作にかける職人魂

彰子:30年! 想像をはるかに超える長さにびっくりしました。お兄さんはどうしてそこまで時間や手間をかけて盤づくりを続けようと思ったのでしょうか。

鬼頭さん:兄もそうですが、親父の徳吉も盤職人として名高い名手の一人で、二人とも自分が碁盤職人であることに対して、誇りを持っていたのだと思います。

親父は、たとえ日曜日でも朝の6時から碁盤のための木を切っていたし、兄は兄で碁盤に使う木を見に行くために学校を休んだりしていました。

兄の方が私より腕も良く、ずっと「俺が盤を担当するからお前は別のものを作れ」と言われていたので、それが私にとってコンプレックスでした。

いつつで購入した名人戦の盤を作成した故・淳夫さん
いつつで購入した名人戦の盤を作成した故・淳夫さん

彰子:徳治郎さんは何を作っていたのですか。

鬼頭さん:碁盤一筋だった兄に対して私は、駒づくりに励みました。大学時代に切手の収集などもしていたので、小さいものを扱うというのが私の性に合っていたのかもしれません。あと、お客さんが来たときなんかもよく「お前が行け」と言われて私が対応していたものです。兄は少しでも長い時間盤づくりに没頭していたかったのだと思います。

彰子:淳夫さんや徳吉さんが作る盤と他の職人がつくる盤とではどう違うのですか。

鬼頭さん:丸八碁盤店で特にこだわっているのは素材です。しかし、丸太を盤の形に切り取るのは比較的簡単で、そこに二人の「気」が加わることで他にはない盤に仕上がるのかと思います。今盤づくりの方法は大きく分けて2タイプあります。1つは、機械によりつくられたもの、そしてもう1つが職人による手作業によるものです。

親父は常々「電動ノコギリで丸太を切るなんてかわいそうだ」といって手作業による盤づくりにこだわっていました。

作業場には盤づくりのための道具がびっしり
作業場には盤づくりのための道具がびっしり

だから、とは言いきれませんが、丸八碁盤店いた職人はみんな腕が良かったんです。現在いる盤職人の中で、盤の脚を機械に頼らず作れる人材はほとんどいません。しかし丸八碁盤店では、親父が「俺たちが死んだら困る」と言って職人たちに脚のストックを作らしていたんです。親父・兄と亡くなった今、丸八碁盤店の盤があるのは、このときのおかげです。

職人による手作業で作られた盤の脚。
職人による手作業で作られた盤の脚。

彰子:盤に○○作と作者の名前が記載されることがあると伺ったことがあるのですが、それだけ職人さんが情熱を込めて盤を製作しているということなんでしょうか。

鬼頭さん:実は盤に名前を入れるというのは、うちでは基本的にやらないことなんです。太閤秀吉が天下を治めていた時代、刀は心を磨く道具、碁盤は戦術を練る道具として考えられていたんです。戦術を練る道具に名前を入れてしまっては相手側に作戦がバレてしまうかもしれませんよね。だから、特別頼まれない限りはうちでは盤に名前を入れないようにしているのです。

彰子:現在では中国産の盤駒など安価なものも普及していますが影響などはありますか。

鬼頭さん:私が20〜30代の時は高額なものであってもよく売れていました。しかし、今売れる盤駒というのは限られています。日本で数百万円するものが中国産だと数十万程度。安価な方へお客さんが流れてしまうのも理解できます。しかし、今でも日本の高額な盤駒を求めて購入するという人がいるのもまた事実です。

お父さん、お兄さんの盤職人として情熱を語る徳治郎さん
お父さん、お兄さんの盤職人として情熱を語る徳治郎さん

訪問後記

今回お話を伺い、改めて、将棋盤というのは、途方も無い長い年月をかけて作られている盤なのだなと思いました。樹齢300年以上の木の歴史が、そのまま盤の木目になって表れている。300年前となると想像すらできませんが、なんだかその時代の人たちとつながっているような、そんな気持ちにさえなります。

また製作工程には20年以上。生まれた子どもが成人するまで、ですね。我が家は長女でもまだ10歳なので、まだまだ追いつきません(笑)。送り出すときは、我が子をだすような気分になるのでしょうか。

徳治郎さんは「父と兄は、それはすごい職人だった。」と何度もおっしゃっていました。現在はその作品を徳治郎さんの手によって、お客様の手に渡っているのですね。今回の盤も、いつつで何年も使っていくことになります。手渡された方も、長く長く使い続けることができるのが、盤なのですね。

中倉家には「足つき盤」があり、父と妹で何度となく練習対局をしていました。現在も私の自宅にも3面程の足つき盤があります。義父が購入したものです。義父はもう亡くなったのですが、この盤を使うと、義父のことを思い出します。一家に1つ「足つき将棋盤」や「碁盤」があるような時代ではなくなったのは、少し寂しい気もしますが、将棋のタイトル戦ではずっと使われ続けていくと思うので、この日本の伝統文化が続いていく事を心から願っています。

それでは最後になりましたが、今回取材にご協力いただいた丸八碁盤店ならびに店主の鬼頭徳治郎さん、誠にありがとうございました。

丸八碁盤店
http://www.maruhachigobanten.jp

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この記事の執筆者中倉 彰子

株式会社いつつ代表取締役、女流棋士。女流アマ名人戦連覇後、94年高校3年生で女流棋士としてプロデビュー。プロとして公式戦を戦うだけでなく、NHK杯将棋トーナメントなどテレビ番組の司会や聞き手、イベント司会などでも活躍。私生活では3児の母親でもあり、育児と仕事の両立に奮起。2007年日本女子プロ将棋協会設立に参画。事業部長として、地域や子どもたちに長く親しまれるイベント作りを心がけている。子育てエッセーを地方紙7新聞に連載し、近年は将棋と知育・育児を結びつけるような活動を広く展開。2015年10月株式会社いつつを設立、代表取締役に就任。女流二段。法政大学人間環境学部卒。@AKIKOPDG

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